みなさん,こんにちは。
シンノユウキ(shinno1993)です。
昨今,学術論文を読むために図書館にいく方はとても少数派でしょう。ほとんどの学術雑誌が電子化され,自宅からでもインターネット経由で,24時間いつでも読むことができようになりました。加えて,欲しい情報があれば,インターネット上に無料で公開されている情報群から検索して入手することもできます。
今回紹介する書籍 『学術書を書く』 は,そんな時代にあっても学術書を書き,発行する意義・意味について書かれています。執筆者は京都大学学術出版会の鈴木哲也氏・高瀬桃子氏です。
書名の「学術書を書く」からは,その名の通り学術書を書くためのハウツーや執筆ガイドラインのような内容が掲載されているような印象を受けますが,(もちろんそれらが含まれていないわけではないのですが)どちらかというと,「なぜ学術書を書くのか」や「どのような内容を書くべきか」といったより根源的な部分を知ることができる内容になっていると,私は感じました。本書で例に出されているように,『理科系の作文技術』(中公新書)や『シカゴ・マニュアル・オブ・スタイル』(The Chicago Manual of Style)とは趣の異なる書籍でありましょう。
そこで今回は,特に「なぜ学術書を書くのか」について書かれている最初の1~2章の内容に焦点を当ててみたいと思います。
学術書の特性
上記について見ていく前に,まずは学術書の特性について考えてみましょう。本書では下記のように書かれています:
書かれた内容が,専門の垣根を越境して広がる可能性が,他の3つの学術メディアと比べて圧倒的に大きいというのが,学術書の特性なのです。 (p.21)
ここでいう他の3つというのは(省略してしまいましたが),①メモや板書などほとんど複製されないもの,②紀要や論集など比較的少部数である冊子類,③査読付き学術雑誌のことです。特に③と比較した場合にわかりやすいかもしれません。学術雑誌は,その分野に精通している研究者が読むものであり,それ以外の読者を想定していません。
一方で学術書は,一般的な書店にも置かれ,特段のトレーニングを受けていない者であっても購入することができます。そのこともあり,読者にその分野における基礎的な知識を要求するものが比較的に少なくなっています。つまり学術書は,他の3つと比べてより多くの方に手に取られやすいと言うことができそうです。
知識と情報
「なぜ学術書を書くのか?」を考えるにあたって,知識と情報について考えることは有益そうです。
知識とは,身体性とも結びついた,研究者が身につけるべき事柄というニュアンスを持ちますが,情報の方は,「情報を受け取る」「情報を渡す」というように,必要に応じて持ち歩き,必要がなければ置いていけるようなニュアンスを持ちます。必要に応じて参照すればよい,一種相対的な事柄といってもよいでしょう。(佐藤文隆氏の示唆による) (p.29)
知識と情報を明確に区別しようとすれば,学術書に書くべきは「知識」が習得できる内容であり,逆に学術雑誌に必要なのは速報性も重視した「情報」になるのではと思います。
必要な「情報」をその都度参照することでは身につかない,学と識,場合によっては技の習得を高等教育の現場においてどう保証するのか。(中略)その点,知を身体化する上で,従来型の紙の「本」を使った教育は,もちろん書き込みを旺盛にすることを含めて,大きな意味があるといって間違いないでしょう。 (p.38)
私は主に紙の本を刊行する出版社で働いています。好んで紙の本を購入する人間でもありますので,やや偏りが生じることは否定できませんが,知識を習得しようとすると,電子書籍や学術雑誌と比べた場合,現状では紙の本がもっとも優れていると感じます。
理由は,①自由自在に書き込みができる,②一定のボリュームがある(基礎的な内容も含まれる),③読みやすい(レイアウトやタイポグラフィ等含む)といったところです。特に電子書籍と比較した場合,電子書籍が上記を満たせないのは,それに関するプラットフォーム(形式やリーダー)に依存した問題でもあります。したがって,そういったプラットフォームが整備されれば,おそらく簡単に逆転してしまうでしょう。それがどのくらい先かはわかりませんが,少なくとも現状では紙の本がもっとも優位であると感じます。
学術書に何を書くか?
上記を私なりにまとめると,学術書に何を書くべきかについては,次のようになります。すなわち,学術書には知識の習得を促す内容が必要であり,そのためには,専門外の読者でも理解できるように必要な基礎的な事項についての十分な解説を盛り込むべきである,となります。
具体的にはどういうことか。本書の筆者は下記のように書いています:
総じていえば,狭義の専門書であれば「パラダイム志向的」,また概説書でいえばある程度大部で体系的なもの,入門書でいえば「歯ごたえのある」,現場の困難が伝わるような挑戦的な内容のものが,今日,本にするにふさわしいと筆者は考えているのです。そして最も重要なことは,高度な研究書であっても,読者はごく狭い同業者(狭義の関心対象を同じくする人々)だけではなく「二回り外」であること,そして本の目的と内容に応じて,その「読者」の範囲を適宜拡張し,それに相応しく記述することです。 (pp.43-44)
「パラダイム志向的」という言葉がでてきました。パラダイムとは科学の枠組みのようなものであり,新しいパラダイムを志向する,つまり新しい研究の枠組みを作ろうとするような試み持った活動を「パラダイム志向的」と本書ではしています。
番外編:教科書について
大学等で使用される教科書も,学術書に含まれます。学術書出版社の収益の大半を占めるのは,やはり教科書ではないでしょうか。
教科書については,下記のように書かれています:
こと「紙の本」に限定した場合,狭義の教科書つまり大学や大学院の講義と不可分に作られた教科書は,今後,紙の本として発行し続けて行くには限界があると思っているのです。
理由の一つは,学術研究のスピードの問題です。(中略)伝統的で安定した理論や方法を紙に印刷された本で紹介し学ばせるというかつての教育だけでは,実際に即さないことも多いでしょう。事実,大学では,講義の目的や学生のトレーニングレベルに鑑みた,教員による手作りの教材が広がっています。 (p.44)
紙の本には,いくつかの制約があります。まず在庫を持つこと。データが更新されたからといって,即座にそれを反映させることはできません。次に最低限度の刷り部数が存在すること。100部だけ印刷するといったようなことは不可能です。そのため,ごくごく狭い対象者にパーソナライズされた書籍(例:○○大学専用など)は作成しにくくなっています。
しかし電子書籍では,上記が可能になる場合があります。データ更新を反映させることも容易ですし,「印刷する」といった概念がないため,製作のコストは比較的低めです。そのため,大学等の教科書においては,完全な電子書籍か,データ部分を電子書籍化するような教科書が望まれることになるでしょう。もっとも,繰り返しになりますが,現状は電子書籍に関するプラットフォームが整備されているとは言えない状況のため,電子書籍にすることで学習効率が上がるかというと,それはやや微妙なところかもしれないなと感じています。
まとめ
今回は 『学術書を書く』 を読んで,「なぜ学術書を書くのか」や「どのような内容を書くべきか」について,書籍中の記述を抜粋しながら考えてみました。実は久々の再読だったのですが,時間をおいて今読んでみると,また違った感想がありましたね。